日本酒と現代アートを融合した、最高級酒「NIIZAWA」。東日本大震災から復活を遂げた宮城県の新澤酒造店が、世界一の精米歩合7%にまで米を削って仕上げた「究極の食中酒」である。社長の新澤巖夫は、幾度も廃業の危機に直面しながら日本酒の新しい世界を切り拓いてきた。
新澤酒造店は、1873年(明治6年)に米どころ宮城県大崎市(旧・三本木町)で創業した。2000坪の敷地に3つの蔵が建ち並び、「愛宕の松」は地元の銘酒として愛されてきた。「荒城の月」の作詞で有名な土井晩翠はたびたび蔵元に足を運び、「館山の頂開く酒むしろ 愛宕の松の香いみじく」という詩を残している。
だが戦後、日本人のアルコールの好みはウイスキーやワインなど多様化し、日本酒の消費量は1970年代をピークに下降の一途。地元で普通酒を中心に細々と商いをしてきた新澤酒造店は時代の変化に対応できず、次第に赤字経営に陥っていった。品評会では県内最下位の成績。まさに廃業寸前だった。
2000年(平成15年)、存続が危ぶまれる酒蔵を継いだのが新澤巖夫である。東京農業大学農学部で醸造学を学び、20歳の時に「純粋純米酒協会」主催の利き酒大会で全問正解し最年少優勝を果たしている。5代目杜氏として会社に入ったのはまだ24歳の若さだった。
「家業の廃業か赤字経営を覚悟して継続するか、大学卒業を目前に悩みました。ただ大学の現場研修時代に惜しげもなく技術を学ばせてくださった諸先輩方や、地元で長年販売をしてくださる酒販店さんへの恩返しをしたい。その思いだけで家業を継ぐ決意をして帰郷し、杜氏として蔵の改革を始めました」
もっと安い資材があるのではないか。蔵人の深夜作業を減らすことができれば、蔵人の体も楽になり、深夜手当を減らすことができる。そんな細かいことから全てを見直していこうと、新澤は毎日のように蔵に入った。
「どんな酒を造ればいいのか。蔵人と毎夜語り合い、悩みながら酒を飲む日々が続きました。その中である1本の瓶だけがいつも最初に空になることに気づきました。その酒は、香りも味わいも決して派手ではないのですが、なぜか杯の進む酒でした。何かある。その酒質を極めて2002年に新ブランドの『伯楽星』を誕生させました」
伯楽星は、料理の美味しさを際立たせ、食事が進むとともにお酒も進む「究極の食中酒」がコンセプト。糖分が低く設定されているのでキレがあり、飽きることなくずっと美味しく飲み続けられる。
最初は、県内最下位と評されていた蔵元の新しいブランドを扱ってくれる酒店は多くはなかった。それでも新澤はブレない酒質と品質を保つ徹底的な温度管理を貫いて特約店限定で販路を広げ、信頼を築いていった。
伯楽星はその味が認められて瞬くうちに人気ブランドとなり、2005年にはJAL国際線エグゼクティブクラスの機内酒に選ばれた。新澤は歴史あるブランド「愛宕の松」の酒質向上にも力を入れ、新澤酒造店は廃業の窮地を脱した。
伯楽星の誕生から6年後の2008年(平成20年)、6月14日に「岩手・宮城内陸地震」が発生した。マグニチュード7.2の揺れで、瓶貯蔵していた酒の6割が損壊。再起をかけて奮闘していた蔵は大きな痛手を受けた。さらに2011年(平成23年)3月11日に、マグニチュード9.0の「東日本大震災」が起きた。
酒蔵のある大崎市は震度6強。3棟の蔵が悲鳴に似た音を立てて大きく揺れ、瓦屋根や壁が崩れ落ちた。蔵の中ではケースごと崩れ落ちて割れる瓶の音が止まず、新澤は激しい揺れに耐えながらただ立ち尽くすしかなかったという。
「伯楽星を醸して初めて頭の中が真っ白になった瞬間でした。大切に育てた商品の8割は崩れ落ちて破損。創業から酒を醸してきた酒蔵、母屋、商品の貯蔵倉庫などの全てが全壊と判定されました。幸い蔵人は全員無事で、仕込みタンクの醪も生きて発酵を続けていてくれました。その醪をもとに震災3日目から宮城県産業技術センターの指導を受けながら仕込みを続けられたことが当時の心の支えであったように思います」
全国から「頑張れ新澤、伯楽星」の応援メッセージが寄せられた。余震が続く中で新澤は気力を振り絞って出荷作業を再開。日本酒だけでなく焼酎や醤油など48の蔵元から51名の醸造家が駆けつけた。みんなで特別な酒を造ろう。全壊判定の蔵で精米歩合7%という奇跡の日本酒「伯楽星Unite311 Super7」が醸された。
しかし蔵の修復は難しく、新澤は本社機能だけ大崎市に残して、80㎞離れた宮城県川崎町の休眠蔵を買い取って製造部を移転することを決断した。川崎町は蔵王連峰の麓に位置し、良質で豊かな水源に恵まれている。
川崎蔵での仕込みが始まったのは、2012年のこと。2014年には瓶詰ラインや-5℃で低温管理を行う冷蔵庫棟、宿泊棟などが建設された。「雨降って地固まる」というが、大震災を機に新天地に蔵を移し、生産性に優れた設備を導入したことで、労働時間が短縮され技術レベルや品質はさらに進化したという。
原料米は大崎市の農家9軒と契約し、酒造り好適米「蔵の華」「ささにしき」を栽培。厳しい品質検査をクリアしたものを使っている。
「蔵人の勘と技術の継承に加えて、仕込み経過途中も毎日分析器を活用して客観的に分析し、食中酒としてキレの良い酒質と厳しく向き合うことを徹底しています。瓶詰した商品は全て-5℃で冷蔵管理し、お客様が口にする瞬間までを意識して全ての人に究極の食中酒をお届けできるよう全身全霊で酒を醸し続けています」
新澤酒造店は現在、純米酒をメーンに酒を醸している。その中でも特に芸術品と言われるマニア垂涎の日本酒が、350時間かけて7%まで精米した最高級酒と現代アートをコラボレーションした「NIIZAWA」である。
日本酒は、米の中心部分を使用するため周りを削る必要があり、外側を削るほど良い酒となる。例えば精米歩合60%以下が純米吟醸、50%以下が純米大吟醸に分類されるのに対して、新澤は究極の精米に挑戦してきた。「NIIZAWA」は精米歩合7%という究極の贅沢を実現し、繊細な香りとクリアでふくよかな味わいは日本酒通が「一度は飲んでみたい」とあこがれる存在である。
現代アートとのコラボは、2014年にアートローグ代表の鈴木大輔と出会ったのがきっかけ。2013年に「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、これから日本酒×アートの粋を極めた日本文化を世界に発信していこうと意気投合した。
ラベルは毎年、「NIIZAWA Prize by ARTLOGUE」によって選ばれた世界トップレベルのアーティストに大賞を、新進気鋭のアーティストに兆し賞を贈呈し、アーティストが提案するデザインを採用。森美術館の南條史生館長が賞の選定委員長を務め、毎年それぞれ1000本が限定販売されている。
「フランスのシャトー・ムートン・ロートシルトがピカソやウオーホルら著名な芸術家にワインのラベルを依頼して世界中で愛されているように、日本酒の文化を現代アートとともに世界で認められる存在にしたい」
廃業や震災の危機を乗り越えて、新澤酒造店は未来に向かって常に挑戦し続ける。